もしも現在 自分の結婚って何だったのか?選択を誤ってしまったのではないか?と悲しい気持ちになっている人に 「人生はどんどん変わっていく、今は永遠には続かないんだよ」と伝えたくて記事を書きました。
結婚披露宴の家族写真
結婚記念日に、懐かしい写真をスマホに見つけました。
1990年4月、我々夫婦の結婚披露宴の時に取ったの家族の写真です。
数年前父が亡くなった後の荷物整理をしていて、両親がアルバムに貼っていたその写真を見つけて「懐かしいな」とスマホで撮影していたのです。
あれから 三十数年が過ぎました。

公私ともに教え子達に慕われ囲まれて、人生の充実を感じていたであろう父。
専業主婦の堅実な生活から少し肩の荷を下ろし、これから気ままに暮らそうとホッとしている母。
自分の結婚と出産を夢見て、次は自分の番だと信じていた妹。
そして今の幸せがなんの苦労もなく、ずっと続くと思い込んでいた私。
全員が未来の事など何も知らず、ニコニコ笑っています。
人生は良くも悪くも どんどん変わっていく
この3年後、母はパーキンソン病を発症して、病の進行と共に動けなく喋れなくなり、15年後に寝たきりのまま亡くなりましたし・・
父は母の入院後に精神的に参ってしまい、人格的に歪になってしまった事を本人も苦しみましたし・・
妹は付き合ったお相手はいたものの、結婚には至らないまま過ごし、その後に大病をして今も苦労していますし・・
私は私で・・
孤独な子育て、年老いた両親の事や実家の整理で泣くような事、結婚を続ける為に歯を食いしばるような事も有りました。
けれど、結婚披露宴の写真の私は出席者の善意ばかりに包まれて、シミの無い肌と、細い二の腕とウエストに真っ白いドレスを着て、単純に幸せでニコニコ笑っているのです。
絹のような滑らかな道が真っ直ぐ続いて行く、と信じていました。
両親たちも披露宴の準備や結婚の支度を楽しんでいました。
その後、どんどんと筋肉が衰えて長い間オムツをして動けなくなるとか、プライドが粉々になり辛い感情を持てあまして怒鳴るような人になるとか、そんな事が自分の身に起こるとは考えていなかったでしょう。
人生の選択に正解も不正解も無い
平凡な人生にも様々な事が起こり、沢山の選択が押し寄せます。
振り返り、あの時この道を選ばなければ・・と考えてしまうような時も有って当然です。
自分の意思を曲げよう、という辛い選択も有るかもしれませんね。
でも選択に正解不正解は有りません。
偉そうですけど、自分の選択は自分で正解にして行くように努力して行くのが良いのじゃないか、と思います。
願わくば、あなたの努力や頑張りが実り有ることの為に使われますように。
何かを隠す為に使われませんように。
守るべき人を守れますように。
自分の人生はこれで良かったと、思えますように。
そして人生最期の苦しみの時、人を妬まず自分の苦しみだけに集中できますように。
どの選択をしても必ず幸せが有る
思い出の中には楽しいことも苦しい事も有るけど、そういう経験が出来た事は、やはり幸せな事だったかもしれないと今になれば思えます。
そう思える程度の苦労しか、まだ私の人生には訪れてないのかも知れません。
今の私は、結婚で幸せそうな若者の笑顔を見ると眩しくて可愛くて、そして少々複雑では有るけど、やはり「おめでとう!」と思います。
誰かと人生を作っていく喜びと苦しみ。
1人で人生を送る清々しさと孤独。
人に頼られない気楽さ。
頼られる充実感。
人生には様々な選択と枝分かれが有り、その色んな側面にそれぞれの幸せが有ると思います。
今に集中して過ごす為に干支九星を使う
これから起こる事を想像して不安がる必要もないし、過去の事を思い出してもう一度苦しむ必要もないから・・
目の前にやって来た事は淡々とこなして、悲しい事が有れば素直に泣いて、ニコニコ出来る事は思い切り享受して、今を過ごせたら良いなと思います。
今日も笑顔でリラックスして過ごしましょう。
頭で分かっていても、それでも日々が苦しい時には、私で良ければご相談下さいね。
精神論だけでは解決できない問題を解決する方法が干支九星には有ります。

まとめ
ずっと続く幸せもずっと続く不幸も有りません。
しかし、頑張っているのに何故か自分の願いとは違う方向に人生が進んでしまう時は、干支九星の開運法を試して欲しいと思います。
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