最近「言霊言霊」うるせえな!と(おっと、お行儀悪いね)思う事があるんです。
確かに言葉は大事だと思います。
言った事はホントになるよ、だから綺麗な言葉、優しい言葉、愛ある言葉を使おうねって、子供に伝えるのも とても良い事だと思います。
でもあまりに「言霊」と言う言葉が溢れていて、その言葉で自分自身を知らず知らずだましてしまう可能性もあるのでは?と思ったりします。
人に対して
「死ねばいい!」
と言った舅の逸話を思い出しながら 本当の言霊の使い方について私の考えを書いてみました。
無神経だけど憎めない舅の言葉「顔がおかしゅうなって!」
私の舅は数年前亡くなりました。
真っ白な歯の、笑顔が明るい人でしたけど、無口でお世辞などは全然言わず、たまに出る言葉が結構厳しい事もありました。
厳しいというか、その時思った事を口に出してしまい、
「舟湖ちゃん、最近顔がおかしゅうなって(おかしくなって)!
どげんしたと?」
「ええええ!そんなっ!ドゲンもコゲンもこういう顔なんです。」
としか答えられませんでしたが・・・
顔がおかしくなったなんて、普通、女性に言う?
言霊を大事にしすぎて自分の心を偽っていないか?
言葉遣いと言う点で、舅の対極にあるのが心優しきスピリチュアル好きな人達。
言葉をすごく大事にされます。
人を傷つけない、相手の小さな事でもすかさず褒める、自分の心の中に有る負の感情は口にしない。
良い事だと思います。
でも最近気になる事が・・
綺麗な言葉を使う事に気を遣い過ぎて、自分の心を偽っている人もいるんじゃないか?と感じてしまうのです。
「なんでこんな酷いやり方なんだろう?」
「この人の考えには どうしたって賛同できない」
「でも・・」
「負の言葉を使ったり、影で人を批判したりすると その言霊は自分に返って来るから・・」
だから、何も言わない。批判もしない。
中には
「この大嫌いな人が痛い目に会えば良いのに!」
「こんな人 いつか失敗するに決まってる」
心の中でこんな汚い気持ちが湧いて来た時には、汚い言葉を産み出したくなくて何も言わず去っていく。
確かにとてもスマートです。
でも・・・
「死ねばエエ!」と言いながら1700万円を渡した舅の話
最初に話に出した私の舅ですが、自分の娘婿がいろんな所で借金を作り、その借金がポロリポロリとバレてしまっているのに、まだ借金を止めない、と言う事がありました。
その事に関して、家族内で困った困ったと言い合っていました。
皆が
「悪気はなかったんだろうけど」とか
「何とかして辻褄を合わせる為に借金を重ねたんだろうけど」とか
なんとか全員が冷静に、でも暗く、話し合っていた時、
ずっと黙っていた舅が
「あいつ、死ねばエエとに!」と吐き捨てて、そこにいた全員何故か噴き出し大笑いしてしまったという出来事が有りました。
舅は自分を思慮深く見せようとか、こんな言葉を使ってはバチが当たりそうとか、そんな事は考えず、心をそのまま口にしたのでした。
言霊を大事にする人ならば信じられない様な言葉ですよね。
「人が死ねばいい」などとは!!
けどその言葉で周りにいた全員がなんだかアッケラカンと笑ってしまったし、舅はそんな言葉を吐きながらも娘婿を切り捨てることなく、
1700万円をポンと娘婿に渡して借金取りから救ってあげました。
「オイ(俺)が働く」とも言いました。
技術を持っていた舅はその時70歳近かったのですが マレーシア、サウジアラビア、ベトナムなどに出稼ぎ(?)に行き、お金を作ってきたのでした。
その後、十数年かけて娘婿は全額を舅に返しました。
舅は言霊的にはちょっとアレでしたが(笑) 行動で愛情を示したと思います。
不器用でしたけど、自分が損をしても、大事な娘を苦しめた婿であっても、人を切り捨てませんでした。
自分が抱えられるものは抱えていく人だったと思います。
綺麗な言葉を使う自分=心が綺麗、という勘違いの危うさ
そんな舅を見て来たから、私は言霊言霊という人がなんだかラクをして良い見返りを待っているような気が時々してしまうのです。
良い言葉を使うのは自分の幸せしか考えてないからでは?と。
心の中で反発する人に対しても、それはおかしいんじゃないか、などと意見も言わず、綺麗な言葉だけを使って、スッと離れていく、それはとてもスマートな事です。
心の痛みも少ないでしょう。
赤の他人にそこまで心をすり減らす必要なんてどこにもないから、そのやり方はとても良いと思います。
でも 自分への見返りの為にドロドロの感情を持ちつつ、言霊を信じて良い言葉を使っていると自分自身を騙してしまう事もあるのではないでしょうか?
自分の心を見つめる事や本当の自分を知る事、自分の努力の方向性を 知らず知らず見失う事に繋がりはしないでしょうか?
言霊より大切なこと|自分の汚い部分を認める勇気
良い言霊はそのベースとなる愛情あってこそ。
自分の汚い部分を認めない限り、人に対して優しい心になる事も難しいかな、とも思います。
言霊を大事にするあまり、自分の心を見つめる事をさぼってしまう。
綺麗な言葉を使う自分は心も綺麗であると勘違いしてしまう。
そうすれば心がとてもラクだから。
確かに楽だけど、そしてスマートだけど、何かもう1歩、人として行動できることも有るんじゃないか?と たまに思ったりするのです。
同じ人間同士、どんぐりの背比べで 誰でもみんな何かの拍子に心の中が泥水でいっぱいになる事も有ると思います。
自分の汚いところをちゃんと見つめながら抱えながら、自分の見返りの為だけではなく、相手の幸せの為にも言霊を使えたら良いな
・・と、考えたりします。
まとめ|本当の自分を知る事が開運への第一歩
もちろん、ほとんどの人はそんなことはとっくの承知で言霊を大事にしておられると信じますが・・
最近あまりにも自分の汚い部分を無かったものとしている人が多い気がして 「言霊の使い方」をテーマに「汚い部分なんか有って当然です」と言いたくて、この記事を書いてみました。
本当の自分を探り開運して行く為に干支九星の占いを利用して欲しいと思います。



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