先生と呼ぶにふさわしい本当の先生との最後のお別れ、そしてお葬式に参加してはいけない日のこと

日々の気づき

私の大事な先生が、昨日お亡くなりになりました。

お通夜に駆け付けましたが、とてもとても残念な事にお葬式には行かなかったのです。

大事な、大好きな、もう一度会いたい先生なのに、どうして私がお葬式に行かなかったのか・・?それには理由が有るのです。

先生と心から呼べる先生でした。

この記事をお読みいただけると、大切な人のお通夜に駆け付けるか、お葬式に出席するか、それとも両方行っても大丈夫なのか、それを選ぶ時のポイントが分かります。

私が先生と呼ばれる時に感じていた違和感

私達占い師は「先生」と呼ばれます。

最初は「そんな・・先生なんてやめて~~。」と、しつこく頼んでいましたが、それも徐々に面倒になり、「先生」と呼ばれて「はい」とすぐに返事をするような、ずうずうしい占い師になってしまいました。

私が初めて「先生」と呼ばれたのは大学生時代で、それは教師の資格を取る為に、出身高校に教育実習生として通った時です。

確か・・ピチピチの21才だったと思います(全体的に記憶が不確か・・なんせ40年前!)。ものすごい冷や汗と脇汗をかきながら、授業をした事を思い出します。

頭の良い生徒からバカにされまいと、あらゆる角度から準備をしましたので、教育実習期間中は睡眠時間もあまり取れなかったような(非常にあやふやな)記憶が有ります。

結局、私は教師の道は選びませんでしたが、他人様に何かを教える事の大変さと、自分が先生と呼ばれる事の違和感は、この時にも強く感じていました。

誰も彼もがすぐに「先生」になる時代

SNSが発達した今、たくさんの人が誰かに何かを教えたい、と思っているように見えます。

手工芸とかインターネット、或いは生き方やビジネス関連。どこにもここにも「先生」が溢れかえっています。

そして「これを習えば簡単にあなたも講座が開けます!なんと3か月で月収〇〇に!」みたいなキャッチコピーで、また「先生」は量産されていくのです。

かく言う私も現在はステンドグラスを教えたり、気学を教えたりしていて、さらに占う時にも無条件で「先生」と呼ばれるのです。

最初こそ違和感は有りましたが、最近では
「『先生』なんて溢れかえっているのだから、単なる仇名なのだ」
と思い、割り切っています。

でも・・・

私はやはり古いタイプの人間のようで、先生というのは、半歩先、一歩先を進んでいるような身近な人間ではなく、圧倒的な力量の差と、1つの事を学び続ける事によって身に付けた人格を持っていて欲しい、とつい思ってしまいます。

心から「先生」と呼べる人に出会えた幸せと感謝

太極拳の先生の鮮やかな去り際の事を、以前ブログ記事にも書きました。

余命3ヶ月と宣告されていた先生は、1年間頑張って下さいました。そして94才の誕生日を過ぎて、天国に行かれました。

私はその日、ちょうど姑の一周忌の集まりがあり、先生がお亡くなりになったという連絡に気付いたのは夕方になってからでした。

脱いだばかりの喪服をもう一度来て、お通夜に駆け付けました。

斎場に飾られていたお写真は、いつもの落ち着いた柔らかい、ふっくらした優しい笑顔の先生で、少し高い所から相変わらず私達を見守ってくださっているようでした。

当然、お葬式にも参加するつもりで、お通夜に集まった他の生徒さん達にも「明日、また」と言って別れたのですが・・私はうっかりしていたのです。

お通夜やお葬式に行かない方が良い日とは

お葬式の日は月は違いますが私の誕生日の日にちだったのです。誕生日の日にちのお通夜やお葬式は出席しない方が良い、と習っています。

これは干支九星の祖であり、霊能者でもあられた望月先生が仰っていた事なのか、それとも私が干支九星を教えて頂いている師匠の知識なのか、どちらか分からないのですが、私はお葬式に行くのを諦めました。

もう一度、先生のお顔を見るつもりでいたので、お通夜の後にあっさり帰ってしまいました。もっと長く残れば良かったと後悔が残ります。

干支九星の流年法で思わず寿命を見てしまった私

私は一年前、先生が余命を宣告された時に、先生の流年盤を立ててしまいました。

先生に対してお行儀の悪い失礼な事だとは思ったのですが、見ずに居られなかったのです。

流年盤を見ると、その年の6月から今年の3月末までが、艮宮の年月同流期と言うことが分かり、ショックをうけました。

でも私は今年3月を過ぎたら、もしかして先生はもっと長生きして下さるかも、と思っていましたので、今年の3月が無事に終わった事を嬉しく思っていた矢先・・・先生は天国に行かれたのでした。

お通夜でお聞きした事ですが、余命3ヶ月と宣告されて、治療をしないと決めておられた先生でしたが、お医者様と相談の上で放射線の治療を始められていたそうです。

放射線治療は心身ともにダメージが強い、苦しい治療。

でも先生は生きる為に頑張っておられたのです。そして3月末に94才の誕生日を迎え、4月に入って、亡くなられました。流年法は、合っていませんでした。これは先生の意志の力だと思います。

最期まで穏やかで強い生き方をされた先生でした。

柔らかな言葉で辛抱強く私達を包んでくださった先生でしたから、先生の体は無くなっても、私達生徒全員を見守ってくださると信じています。

沢山の教えをありがとうございました。

ご近所の高校受験生に家庭教師のような事をしたり、工房に入り、得た技術でステンドグラスを教えたり、今では九星気学や干支九星を教えたり、なんだかんだと「教える」ような経験をしてきました。

亡くなった先生の知識やお人柄を考えると、こんな自分が何かを教えるなんて、本当にお恥ずかしい事です。

それなのにどんどんと「先生」と呼ばれる事に鈍感になってきている私です。

先生はずっと勉強を続けておられました。
そして、生きる事に挑んでおられました。

先生、太極拳を通してたくさんの教えをありがとうございました。
合掌

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