広島・原爆ドームを訪れて感じたこと|残してくださった広島の人たちへの感謝と命について考えた日

日々の気づき

3月の終わり、広島を訪れました。

目的は、厳島神社 に参拝することでした。
海に浮かぶように建つ神社は、静かで、穏やかで、心がゆっくり整っていくような場所でした。

そしてもう1つ、広島に行くと決めたときから頭に浮かんできて、その度に自分でその考えを消していた場所がありました。

原爆ドーム です。

広島に行くと決めたときから、原爆ドームのことはずっと気になっていました。でも、本当は、行くのが怖かったのです。

原爆ドームに行くのが怖かった理由

私は原爆ドームに行くのが怖かったのです。

きっと重い気持ちになる。
辛くなる。
胸が苦しくなる。

それは分かり切っていました。

私は戦争に関するものは自分の暮しから極力遠ざけてしまう癖が有ります。

だから、「原爆ドームは見ないままでもいいのではないか」「自分が見ても誰の役に立つわけでも無い」「ドームを見る事で恨む気持ち、悔しい気持ちは必ず生まれる」という考えが有りました。

地理に疎い私が、たまたま予約したホテルは、原爆ドームのすぐ近くでした。宿泊の次の日に、迷いながらも「サッと見るだけ見て、心が重くなる前にその場を離れれば大丈夫!」と自分に言い聞かせて足を運びました。

実際に原爆ドームの前に立って感じたこと

朝早く、原爆ドームの前に立った時、私は思わず口元をぎゅっと結んでしまいました。

骨組みを剥き出した建物が、静かに空を見上げている。敗戦前は華やかで、市民の自慢の建物だっただろうドームの残骸は、想像していた以上に迫力があり、そして静かでした。

原子爆弾は、このドームのほぼ真上で爆発したそうです。
真上から圧力がかかったことで、建物が横に崩れず、骨組みが残ったと言われています。

原爆投下直後の写真も見ましたが、周囲はすべて瓦礫の山でした。
本当に、この建物だけが残っていたのです。

怖ろしい現実が有ったのだと思いました。

でも、そのとき私の中に湧いてきた感情は、恐怖や悲しみだけではありませんでした。

原爆ドームを見て感じた「残してくださった人への感謝」

原爆ドームを見ながら、私の中に静かに浮かんできた感情がありました。
「残してくださって、ありがとうございます。」という気持ちです。

原爆によって、多くの人が亡くなりました。
大切な人を失った人が、数えきれない程いたはずです。

その瞬間に命を失った人もいたでしょう。
苦しみながら亡くなった人もいたでしょう。
看病をしていた人も、同じように命を落としたかもしれません。

生き残った人たちは、その現実を目に焼き付けてきた。
その記憶を抱えながら、生きていくことになった。
それでも、この原爆ドームを残すという決断をした。

そのことの重さを、私は感じました。

父の最晩年と、思い出を捨てた私の選択

人は、辛いものを消したくなる生き物なのかもしれません。原爆ドームの前に立ちながら、私は自分のことを考えました。

人は、辛いものを消したくなる。
見たくないものから、目をそらしたくなる。

それは、とても自然な心の動きだと思います。私もそうでした。

両親が亡くなる前、最晩年の姿を見るのは、辛いものでした。

特に父親の、体が弱り心も寂しさを抱えながら、自分のプライドに足掻きながら、必死にもがいていた姿。
人生を懸命に誠実に歩いてきた人が、最後の最後になって自分自身の心の在り方に苦しむという現実。

それを目の当たりにする事は、私の心も消耗させました。

だから私は、父が亡くなった後、元気で陽気で威張っていた父だけを覚えていたいと思いました。

父が大切にしていた故郷の歴史の本や、最後まで勉強に取り組んでいた仏教の資料も、見ていると父の人生の落差を思い出し、胸が苦しくなり過ぎてしまうのです。

だから父が亡くなった後、私は心を殺して、何も感じないふりをして、父が最期まで大事にしていたものをどんどん捨てていきました。

見たら辛くなるものは、削除して削除して、忘れてしまったふりをして、私は毎日できるだけ上機嫌に暮らして来たのです。

原爆ドームを残した広島の人たちの決断の重さ

私の経験などは本当に小さなものです。そんな小さな感情さえも追体験するのが嫌で、思い出を削除して来た私です。

だからこそ、原爆ドームを残すという決断の重さを感じました。

あの日の広島を知っている人たちにとって、この建物は記憶そのものだったはずです。

どうしても忘れられず、考えると奥歯をかみしめる程、苦しくなるもの。
見るたびに涙が出て胸が締めつけられるもの。
それを、敢えて残す。

壊してしまいたいと思っても不思議ではないのです。それでも、広島の人達は遺して下さいました。未来の人たちのために。

 

「記憶と向き合うこと」の大切さ

人の心は、あまりに辛い出来事に出会うと、それを遠ざけようとします。

思い出さないようにする。
見ないようにする。
感じないようにする。

それは、自分を守るための自然な働きです。

看取りや災害、事故、戦争など、強い衝撃を受けた人が、記憶を閉じ込めてしまうこともあります。

無理に思い出すことが正しいわけではありません。
忘れることも、心を守るために必要なことです。

でも一方で、記憶を残すことで、未来を守ることができるという考え方もあります。

辛い記憶を抱えながら、それでも伝えていく。それはとても勇気のいる行為です。

原爆ドームは、敗戦の象徴であり、広島の人達の勇気と強さの象徴のように感じました。

日常は、ある日突然終わることがある

原爆ドームの前に立って、強く感じたことがあります。それは、「日常は、決して当たり前ではない」ということです。

朝起きて、ご飯を食べて、家族と話して、仕事をして、眠る。その繰り返しが、ずっと続くような気がしてしまうものです。
でも、あの日の広島では、その日常が一瞬で消えてしまいました。

戦時下ではありましたが、お父さんも、お母さんも、子供たちも、淡々と日常を営んでいたはずです。
朝ご飯を食べて鞄を背負って「行ってきます」とお母さんに声をかけて、お友達と一緒に笑いながら登校していた子供達も居たでしょう。

「今日も良い天気ね」と子供の服を洗濯しながら「もうこのシャツも小さくなったわね」と考えていたお母さんも居たでしょう。

戦地に行った我が子やお兄ちゃんやお父さんや愛する人のことを思いながら、それでも毎日を大切に生きていたと思います。

その日常が、なんの覚悟も無く、突然一瞬で、全て終わりました。

原爆資料館に入る勇気が出なかった理由

実は、今回は資料館に入ることができませんでした。
怖かったのです。急に終わってしまった日常の残骸を見ることが。

本当は見るべきだったのかもしれないと思っています。帰宅してからも、この気持ちはなかなか薄れません。

私たちは何を残して生きていくのか

広島から帰ってきて、ずっと考えています。
私は、何を残して生きていくのだろう。

辛いものを消し、苦しい記憶を閉じ、楽しい思い出、ニコニコした写真だけを残して「ああ、この人は気楽な人生だったんだな。」と、遺った人達に思って欲しい気持ちは、やはりあります。

それはもしかしたら「エエ恰好シイ」な事かもしれません。生まれ落ちた最初から、死んでいく苦しさまで、そのまんま正直に認める方が良いのかもしれませんね。

原爆ドームは、何も語りません。ただ静かに、そこに残っているだけです。

あなたは、何を残して生きていきますか。
あなたの御両親はどんな記憶をあなたに残してくれましたか?
あなたは楽しい記憶も苦しい記憶も残す勇気が有りますか?

後に遺る人達の人生を豊かにする為に。

原爆ドームを訪れて今も考え続けていること(まとめ)

避けたい気持ちもあったけれど、「ちょっとだけ」と立ち寄った原爆ドームは、今を生きる私にいつもと違う考え方をさせてくれました。

原爆ドームの前で感じたのは、恐怖や悲しみだけではなく、残してくださった人への感謝でした。

そして、帰宅してからも、その気持ちは残っています。

私はいつか、原爆資料館に入る事ができるでしょうか?なんだか出来ない様な気がします。でも、それではいけないという思いも有ります。

笑顔であっても泣き顔であっても、悦びであっても苦しみであっても、それら全部が尊いものだと思う気持ちはこれからも持っていたいと思います。

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