2024年4月。姑が亡くなりました。
若い人から見れば、私くらいの歳の人は、いろんな経験があるように思えるかもしれません。
しかし人生にそうそう何回も出会えないことも有ります。
だからその度に失敗し、後悔してしまうのです。
縁起でもない事で恐縮ですが、将来、大事な親御さんが病院で危篤状態だと医師から告げられた時・・
あなたが出来るだけ後悔をしない為の、心構えと判断のポイントを、私の経験からお伝えしたいと思います。
老いて徐々に弱っていく親
自分が子供の頃には何でも出来て、サッサと歩いて、気が強かったり 力持ちであったりしたお母さん。
短気で怒りっぽいけど、いざという時は黙って力になってくれたお父さん。
どの様な親であっても、ふと気がつくと体力は無くなり、待っている情報は古くなり、性格もイビツになっていきます。
それが老いていくという事。
人間はそういう動物で、誰でもが歩んでいく道です。
死に方の色々
憧れのピンピンコロリ
ある程度の年になると、誰でもが
「ピンピンコロリで死にたいわあー」とお約束のように口にしあいます。
死ぬギリギリまで自由のきく体で、苦しんだり悲しんだりせず、あっという間に死にたい…
その気持ちは誰にでもあるでしょう。
しかし 想像してみてください。
無くなる前日まで元気で大笑いしていたのに、次の日に亡くなるのは「突然死」や「事故死」です。
自身も家族も納得する位の歳までピンピンしていて、有る日コロリと死ねる人は、ごくごく僅か。
私の姑はウォーキングなどもして、気も強く体も丈夫な人だったので、 周りの人からは
「おたくのおばあちゃんは、ピンピンコロリのタイプだね」と言われていたのですが・・
そんな姑でもピンピンコロリは叶いませんでした。
老衰死・病死は王道
突然死、事故死でないなら、老人の死に方はよく似ています。
魂の入れ物である肉体の老朽化により、骨が弱くなったり、脳の機能が落ちたり、内臓に疾患が見つかったりして、日常生活で誰かの助け無しには生きていけなくなり、いよいよになると入院になります。
そして、老人の入院生活は死によって終わります。
死の直前にお医者さんから「あと2~3日です」と告げられることが多いのです。
自分の祖父母を除いて(つまりお葬式を出す側に近い立場として)、私は5人の親族の死に関わりました。
まず実母、次に叔母、実父、舅、姑の順です。
全員真っ当に、つまり「年老いて病気になって入院して亡くなる」という死に方をしました。
5人中4人は「あと2~3日」とお医者さんから、告げられたのでした。
姑も・・桜の散り終わる頃、医師から「あと2~3日です」と告げられました。

お医者さんから危篤を教えて貰っても、家族がなかなか事の重大さが分からない理由
お医者さんはきちんと伝えてくれる
思いやりからでしょうか、
お医者様は「危篤状態です」とはあまり仰いません。
だって、見たら分かるのです、危篤状態と言う事は。
だから「あと2~3日です。会わせたい人が居るなら呼んで下さい。」と言う柔らかな言い方をされるのだと思います。
その時にしつこく「危篤状態と言う事ですか?」と聞くと「そうです」と言って下さいます。
看護師さん達もとても優しいです。
老人は誤嚥を繰り返し、体が弱り、肺炎で亡くなることが多いですから、抗生剤を投与されます。
危篤状態であっても看護師さんは
「今度の抗生剤は効くと良いですね」と家族の心が少し明るくなるような言い方をして下さいます。
でもその看護師さんに「危篤状態ですか」と尋ねると「そうですね」と仰るでしょう。
沢山の臨終に立ち会ってきたお医者さんや看護師さんは、当然分かっておられるのです。
そしてできるだけ家族が傷つかない様に伝えて下さるのです。
家族の受け取り方には感情と望みが大きく入る
一方家族の場合は、親が今どういう状態かきちんと伝えて貰っているにも関わらず、現実を視たくなくて・・一縷の望みにすがり過ぎて・・
今にも亡くなろうとしている人との大事な時間を、きちんと過ごせなかったりするのです。
「ばあちゃんは やっぱり2~3日うちに死んじゃうんだろうな」
と頭では思っていても・・
「でも新しい抗生剤が効くかもしれない」
「臨終のときに傍に居てあげたいから、今のうちに洗濯物を取り込んで来よう」
「今晩泊まり込んでばあちゃんの傍に居よう!その為に今の内にさっと家でシャワーを浴びて来よう」
「お医者さんは2~3日、と仰ったから、今日じゃなくて明日の夜に泊まってあげよう。」
「夜中に出入りするのは病院も迷惑だし、明日のあさイチで駆け付けよう」
暮しが有るから、しょうがない事だとは思います。
他人であれば 冷静に「ああ、亡くなるんだな」と思えても、それが実の親であれば、できるだけ良い方に良い方に考えてしまうのかもしれません。
だって・・自分の記憶の中にいる親は、いつだって強くて、優しくて、口やかましくて、大丈夫な人だったのですから。
でも「あと2~3日」と言われた時、必ずその日にちの中で最長の3日目で亡くなる、と言う事は有りません。
たった今、死んでしまうことだってあり得るのです。

いつ亡くなってもおかしくない状態で頑張っている義母
仕事柄、時間の融通の利く私は、息も絶え絶えな姑の横で1人でじっと顔を見る時間が有りました。
姑の状態は、今まで見送った自分の親たちの亡くなった時と、共通点がありました。
白目を剥く
時々、姑は白目を剥いてブルブルっと体を震わせ、何も無い所に手を伸ばします。
私の少ない経験ですが、危篤状態の老人が白目を剥くようになったら その瞬間に亡くなってもおかしくないのでは?と思っています。
「お義母さん!お義母さん!もう少しでお義姉さんが来ますよ。あと1時間位で来ると思いますよ!頑張って!」
「〇子さん(義妹)は16時に来ますって。頑張って!!」
と耳に口を近づけて語り掛けました。
義母はほんとに微かですけど、私の声掛けに頷きました。
血中酸素濃度が80くらいになる
入院してベッドから起きれない時、血中濃度を測る器具を指に付けられてその数字が機械に表示されます。
そして、入れ替わり様子を見に来てくれる看護師さんの中には ざっくばらんな人もいて、「血中酸素濃度が80になったら、急に0になることも有ります」と教えて下さいました。
つまり急に亡くなっても不思議ではない状態だということです。
血中酸素が低くなり、ブザーが鳴り響くと
「息を吐いて、深く吸って!お義母さん、頑張って」と声かけをすると、一生懸命深呼吸してくれて、酸素濃度は90位まで戻ります。
私の声はちゃんと聞こえていて、死なないように一生懸命に頑張っているのです。
義母は我が子達が来るのを待っているのだと思いました。
ギリギリの状態でどの瞬間に死ぬかを本人が決める
体は苦しくても気力を奮い起こして、一番会いたい人を待つ、という状態を、実母と叔母と今回の姑に見ました。
実母は私が母の汚れ物を手洗いし終わって、病室に戻って来るのとほぼ同時に心臓が動かなくなりました。寝たきりが長く、人工呼吸器も付け、もう喋れませんでしたが、頑張って待っていてくれたのだと思います。
叔母は自分の子供達、また可愛がってきた私達姉妹が自分の傍らに集まっているのを、1人1人の顔に視線を移し確認してから、くっと白目を剥いて心臓が止まりました。
そして義母も、我が子に会う為に、何度も白目を剥いたり酸素が足りなくなったりしても、気力で命を保っていたのでした。
だから私は、頭がハッキリしている老人であれば、瀕死の状態で気力だけで生きている時間は、有ると思います。
そして自分の命を保つのに必死で、付き添いの声かけに反応するのが無理であっても、ちゃんと声は聞こえている、と思います。
義母はそんなふうに頑張ってくれましたし、私は自分1人の時に姑を死なせるもんか!と思い、緊張しながら何時間も過ごしました。
亡くなる時期は運命に導かれる事もある
普段は人の亡くなる時期なんて鑑定しません。
さすがにコワイです。
どうしても!と請われた時にだけ、〇月は気をつけてあげて・・くらいは言います。
でも、入退院を繰り返した姑が以前入院した時に私は見てしまいました。
この四月が 姑にとってかなり大きな意味を持つという事は 干支九星を勉強している人なら誰でも気づく事です。
流年盤でも同流対流はしていなかったけれど特別な時期でした。
その時に書いた記事がこれです。
この記事に書いた鑑定だけでなく、お医者様が「あと2~3日」と仰った日にたまたまお客さんの鑑定依頼が入ってきて、四盤暦を手に取ったら・・
以前に舅のお位牌を作ろうとして出した墓流年で出てきた、午の四緑の日が明日だ、と気づいてしまったのです。
特別な意味を持つ今年、今月、そして墓流年で出た因縁の午四緑の日。
私は主人だけには「明日は仕事を休んだ方が良い」「今晩、ばあちゃんの傍に居た方が良いと思う」と言いました。
主人もピンと来たのか、その通りにしてくれました。
夜は主人が姑の病室に泊まり、付きっきりで手を握ったり話しかけたり、義母の好きな歌(谷村新司さんの昴が好きでした)を小さく歌ったりしたそうです。
そして次の日。午四緑の日。
義母は亡くなりました。
同じ家に住み一生懸命看護して来た義妹と、義母のことが大好きな義姉は間に合いませんでした。
2人は「昨晩私たちも泊まれば良かった」と嘆きました。
占いで出た結果を告げなかった心の痛み
お義姉さんたちにも、私が見てしまった鑑定盤の事を言えば良かったのかもしれません。
私が占いを勉強している事は姑にも小姑にも内緒だったのです。特に姑は占いが大嫌いでしたから、主人にも頼んでずっと秘密にして貰っていました。
いろいろ考え迷いましたが、「明日が墓流年で出た特別な日だから」という理由で、夜にもう一度義姉義妹を病院に呼び出す事は、私にはできませんでした。
主人も、最初の頃は占いなんて・・という態度でしたが、私が毎晩勉強している所を何年間も見て来たから、私の言う事を信じて、仕事を休んで義母に付き添ってくれたのだと思います。
姑の事を心配し、一緒に暮らし、いろんな辛い判断をして来た義妹が最期の時に立ち会えなかったのは気の毒だったと思います。
やはり、胸が痛みます。
まとめ
素人の経験からの情報なので「絶対にこうだ」とは言えませんが、心構えとしてこれらの事を覚悟していれば、大事な人が亡くなりそうな時に 後悔の少ない行動がとれるのでは、と思います。
- 「あと2~3日」と言われても1日目に亡くなる事は有る。
- 白目を剥く様になったら 今にも死にそうな時
- 血中濃度80以下は 急に死ぬ可能性が有る。
- 意識のある瀕死状態の人であれば少しの間なら気力で命を保てる
- 声掛けに反応しなくても 聞こえているから 伝えたい事はしっかり伝える。
亡くなった姑はお棺の中で 目を閉じてすっきりと美しい顔をしていました。
得意だったフラダンスの鮮やかなピンクの衣装が色白の顔に良く映えて 薄く口紅も引いて貰って、亡くなる直前よりもずっと若く見えました。
お義母さん、お疲れ様でした。
ご先祖様のお墓参りやご供養の事は心配しないで下さいね。
干支九星の墓流年法でバッチリ指名されている(!) 私にお任せください。
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